ゼロティ(ゼロの日常)が炎上していると聞いて私が申し上げたいこと
ゼロティが炎上していると聞きました。
https://togetter.com/li/1355894
ツイッターで色々ご意見を拝見しましたが、自分が見た範囲では、
・風見さんの露出が多過ぎる(安室さんのスピンオフじゃないのかよ!)
・安室さんと風見さんのキャラが解釈違いである。
という意見を拝見しました。
これに対して、ずっと燻らせていた思いがあるので、ここにぶちまけたいと思います。
《安室さんの描画範囲について》
安室さんというキャラクターは本編の進行上、どうしても描ける範囲に制限が出てくるキャラクターだと思います。
それをゼロティの中でカバーしていくために風見さんが上手く使われているなと私は感じています。
ただ、人によっては風見さんばっかり取り上げられていると映るかもしれません。
安室透というキャラクターが紐解かれない以上、こればかりは仕方ないと考えます。
《キャラクターの解釈違いが生じる原因》
2人が登場する純黒、ゼロシコを見ると、2人はクールでかっこいいダークなエリート公安警察官として描かれています。
しかし、私はこれがゼロティとの解釈違いを生む原因であると考えています。
映画で見たようなクールで公安を体現したようなグレーゾーンを潜り抜けていく危険な香りのする安室さんや風見さんが原作で描かれているかもう一度確認して頂きたい。
何かそれっぽいことしてます? 私、ゼロシコの公安お得意の違法作業? みたいなことしてるというか、公安警察然としてる怖い顔した安室さんを原作で見たことないと思うんですよ(赤井さんの前では怖い顔してるかな…あ、盗聴はしてますかね…) 風見さんは原作で出番がほぼないので割愛。
※※(余談)なんだったら既存キャラクターが解釈違い※※
純黒、ゼロシコの脚本を書かれている方の他のコナン映画作品である絶海と向日葵を合わせた全4作品のコナン映画なんですが、正直私から言わせて頂きますと既存キャラクターが解釈違いなんです。
今日ゼロシコを見ていて感じたキャラクターに関する違和感だけでも、ザッとこれだけあるんですね。
率直に申し上げて、脚本家の方とキャラ解釈がこれだけ違うと、安室さん風見さんのキャラ解釈も私とは違ってるやろと断じざるえない。
https://mantan-web.jp/article/20130422dog00m200002000c.html
このインタビュー記事を拝読しても、コナン作品への理解の浅さを感じる(各キャラクターのエピソードをたくさん見せてもらったとか、最初から見ていたわけではないとか)
テーマをもってしても、イージス艦にしても公安警察にしても相棒とかでやってどうぞという感じがすごい(コナンとして新しい切り口ではあったけれど、作品が料理しきれていない時点で失敗だったと私は思う。あくまで主観で申し訳ないですが)
《原作、作者インタビューから解釈する安室透というキャラクターについて》
シクアカで青山先生が仰っていた「(安室さんのトリプルフェイスの内、どれがお気に入りか?という問いに対して)うーん…全部かな?(中略)どの顔も安室ですよ」というお言葉や、
好きな子のタイプだったら「しゃべりまくってても嫌がらない人」ですとか、
伊達さん曰くのところ「自分の力を過信して無茶してどっかでおっ死じまってるかもな」とか、
そういう情報を統合したとき見えてくる降谷零という人間は恐らく、普段見せてるあの顔が割と素で、うんちくを語って聞かせるのが好きで(『謎解きは喫茶ポアロで』で13日の金曜日について突然語ってくる場面が、その最たる例だと私は思っている)、スペックの高さ(青山先生曰くできないことないらしいし)ゆえに一人で邁進ぎみな一面のある男だと思うんですよ。
あくまで私の降谷零という男に関する解釈なんですが、この解釈でゼロティと解釈違いを起こしたことはありません。むしろ週を追うごとに説得力が増していくんですよ。
青山先生のプロットがあるという点からみても、先生が想定した安室透というキャラクターはゼロティに描かれている通りなのではないでしょうか?
ゼロの日常という作品で安室さんは常に誰かをこっそり手助けする陰のヒーローとして描かれています。
夜想曲で毛利先生が推理したことに仕立て上げようとしたり、宅急便の話で偶然居合わせただけだよなんて帰っていく、常に誰かの陰にいようとした安室さんを思い出すと納得できます。
むちゃくちゃかっこよくありませんか? 自分がやりました! なんて絶対に言わないんですよ。上手いこと立ち回って相手を立ててくれるんですよ。安室透むっちゃかっこいいじゃありませんか…。ゼロの日常、安室透の魅力が詰まってるじゃありませんか…。
《以上を総括して》
これは役に立つかわからない助言ですが、これからもゼロティを読みたいのであれば映画の時間軸はできるだけ排除して読んではいかがでしょうか。
それが解釈違いを起こさない肝であると私は考えます。
いくつものインタビューでお答えになっているように、青山先生は映画にネタを提供しているから、そういったネタが原作で時々出てきたり、思いもよらないところでキャラ同士の会話にポツリと映画の話(通天閣にキッドが立ってた云々)が出てきたりしますが、基本的に原作と映画は別物と捉えた方がいいです。絶対いい。
自分が見たいコナン世界が純黒やゼロシコのそれであれば、ゼロティは読むべきでない。
ただ、そういった方達もこれから原作新刊を読み進めていく内に思いもよらない展開が待ち受けているかもしれません…。
お目通しありがとうございました。